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■自分43歳、地球という星は学者抜きに何歳なんだろう...


はじめまして、ハレルヤマートマスターことしょうじです。ちょっと自己紹介がてらご挨拶させて頂きます。

生まれは大阪市の大正区というそれはそれはブルースな街に命を授かりました。

元々の生家は名字にも在りますが、旧兵庫で、由緒あるお庄屋さんをしていたんだとか...

育ちは大阪にある堺市という街で、歴史的にも刃物で名を馳せた文化を色濃く残した街並で絵の大好きな

少年時代を過ごしていました。

半ば唯我独尊で過ごしたある年のある日、突然家族からのふ報、父が倒れ、あろう事か植物状態に...

正直、何がなんだか分かりませんでしたが、確かにその胸の動揺は、尋常なものではありませんでした。

医師から告げられた言葉は、『完全脳死状態では無く、四分の一は生きてる』....という、とても多くを否定させ

られる受止めがたい複雑なものでした。

ある意味そこからが、本当の自分をとことん知ろうと戒め抜き、刺しで向き合う 『鍵を拾った』 時期だった様な

気がします。当時17歳...

人の命には限りというものがあります。

大きくは、全うしてこの世を去る者、悔いを残してこの世を去る者と様々です。正直複雑でした。世間知らずと

言えばそうかもですが...

当時私立の高校を中退し、もう何一つ答えてくれない答えを自分で探そうと、

それまでの生き方を変えてみようと、今まで考えもしなかった裏社会へ身を投じました。

裏社会と言っても、偶然にも 『報道』 というマスメディアの世界だったのですが...、

その世界は広範囲に実にリアルなものでした。

命の尊さ、人間社会の複雑さを 『実社会のドキュメント』 としてもとても考えさせられる時間がありました。

その 『門』 とも言うべき扉は、

ひょんな切欠からでした。これも運命と言ってしまえばそうなのかもしれませんが...

当時からバイク乗りの私が、たまたま仕事をさせて頂いていたバイト先がテレビの裏方稼業のような部署もあ

り、偶然にも人手不足と事件事による臨時出向により、

社員さん尻目にもバイトの立場ながら生意気にも 『報道部の椅子』 に座る事となりました。(嵐)

今でこそ何もかもが便利で淘汰された世の中ですが、

その頃はまさに 『人力』 がまだまだ猛威を振るう世の中でした。とは言っても伝書鳩みたいな 『プレス』

当時の内容ば、『グリコ森永』、『山口一和抗争』、『日航機墜落』など、まさに衝撃的な現場の連続で、

ある意味普遍的な人間性というバロメーターを維持するのは容易な環境ではありませんでしたし、

実際の現場は憧れ等でで出来る内容のものでも有りませんでした。

しかし、自分が幾ら求めても、相手在っての社会です。希望と理想を抱いたからと言って、そのポジション

が与えられるとは決して限らないのです。早く言ってしまえば、

少なからず当時誰もが憧れたマスコミのいちステージだった事でしょう...

それを決定付けさせたのは、

同族系に親戚がいるとか、バイクの操縦が上手いとか、調子がいいとか高学歴とか...ではなく、

笑われるかもしれませんが 『落書き』 というひとつの 『絵』 からがスタートでした。

同じフロアーにいた報道編集のスペシャリストさんに落書きを発見されてしまい、

危うく 『不謹慎』 と思いきや、

それらはまるでその反対で、その 『落書き』 がたちまちフロアーを駆け巡り想像付かない出来事や仕事等

への技術の助長とは、まさか夢にも想いませんでした。

インターネットは勿論、

一般家庭にFAXすらない当時、私はこの社会で様々なモノの考え方と技術を学びました。

当時私は、半ば学識と出会い、昼間は報道、夜は夜間高校/大学へと道が開かれ、

恥ずかしながら勤労学生、

後に、一旦は就職を果たし、真面目に社会に取り組んでいましたが、私が入社した所は畑違いのメーカー

でしたので、学歴社会差がそれは歴然でした。

夢と希望を幾ら抱いても『扉』 どころか、鍵の素材すら見当たりませんでした。探せば探すほど、探させまい

とする目に見えぬ『チカラ』は明らかでした。当時を振り返り一番記憶に残っている言葉は..

.『もし、君がこの会社を辞めれば、それ以下はあっても、それ以上というものはこの世の中には存在しない...』

とまで言われ、それは一体何を規準にモノを言っているのか、正直憤りさえ覚えました。

それはまるでベトナム戦争での 『メッセージ工作』 か戦後のGHQさながらです。つまりは『学歴社会に歯向

かうな』とも言うべき内容でした。戦争とは、こういう隔たりある社会が引き金となり潰しあう結果と...

今改めて想えば私は、恥ずかしくもこの方を黙らすひとつの醜い手段に考える間もなく出ていました。

当時逆に、私がそこへ乗り込むという方法でした。(爆)

ただ『許せなかった』という悲しい手段でしたが、ある種自分の中のダークな方程式に納得し、

それ以来表ざった社会から早々に身を引く事を選択しました。(事情により一部削除させて頂きました。)

どの世の中にも言える事ですが、

理由はどう有れ、ある種道を外れた者へは自由など無いに等しいとも考えていましたが、 『soul』 の部分が

まだ色濃く残る職人として人の黒子に徹する生き方を選びました。何を黒子として選ぶという訳でもなく、

当時友人がたまたま壁紙職人だったという事も手伝ってか、ひょんな切欠でこの道に浸かってみました...

修行時代ははとても厳しいものでしたが、

限りなく自分が何かの柱として、又は誰かの役に立つのではないかという平和的解釈からスタートしたもの

でした。どの社会にも、不思議な人がいるもので、私が修行させて戴いた社会も、ある種とても醜い部分を

引きずっていました。多くの人間社会は、まずは通貨という報酬なる現実に太刀打ち出来ず、

それこそ、それが支配者の如く、その為なら魂をも捧げてしまうようです。

事実国家自体がそういう国すらも珍しくはないでしょう、

私は少年時代から続けている事がひとつだけあります。それは 『絵』 を描く事という

とても原始的かつ人間的な事です。『絵』は、大きくは古代より心の現われとして、昔から様々な表現で使わ

れてきました。中南米などに点在する地上絵などは、神々と交信する為の通信手段に使われたとさえ言われ

ていたらしいですが、言葉の文化さえ有るか無いか分からない時代にさえ絵は存在したようです。

言い換えると、とても古典的で、神秘に溢れるピュアーな世界観という事、

ある人は、絵を愛する者に悪い人はいないとまで言います。

しかし、現代社会は、

この触れてはいけない領域にまで格差を発生させるビジネス論を持ち込もうとさえします。

正真正銘のピュアーな考えのモノなら決して異論は無いのですが、組織にしてしまうと話は別なのです。

そう想えば、人間という生き物は、創れるものは何でも造りたくてしょうがない生き物とさえ想えます。

ただ、現代社会においてその方向性が問われ出してきているのではないかという事なのでしょうか、

自らが創造した温もりで、自らが戒め合う、この星の寿命もそう長いものではないのですから...

hareruya...

(C)hareruyamart.com

この戦闘機?は
川重の直6にござります。

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